ムスリムになったの話


アッサラームアライクムワラフマトゥッラーヒワバラートフ

ムスリム兄弟、姉妹のみなさんに平安がありますように。
みなさんこんにちは、私は日本人ムスリマのニサと申します。
生まれも育ちも福岡で、今は久留米に住んでいます。

まず最初に、今日、ここに招いてくださったPPIの方々、Muslimah Fukuokaの皆様へ感謝を述べたいと思います。どうもありがとうございます。

今日は私自身の話をするのですが、自分の感情や、経験談などになりますので、私の母国語である日本語でお話させていただきたいと思います。そして今日は仕事でこの時間には来ることができない夫の変わりに日本語の上手なレスティさんに無理を言ってインドネシア語の通訳をお願いさせていただきました。今日はみなさんどうぞよろしくお願いいたします。

さて、私が「イスラム教」そして「ムスリム」と初めて会ったのはなんと今から約14年くらい前、高校1年生の時でした。その人たちはインドネシアやマレーシア、バングラデッシュから来た農業研修生で私の高校のすぐそばで農業を学んでいました。当時私は国際交流にとても興味があり、すぐ彼ら、彼女らと仲良くなりました。

インドネシア人とマレーシア人が違う国なのに言葉が通じているのもその時初めて知り、
私はインドネシア語に興味をもちました。インドネシア語が分かればマレー語も分かると聞いて、外国語といえば英語しか知らなかった私にはインドネシア語はとても新鮮で、もしかしたら言葉を学べばもっと自分の世界が広がるかもしれない、もっと彼ら、彼女らと分かり合えるかもしれない、そう思ってすぐに本屋へ行き、独学でインドネシア語の勉強を始めました。今でこそインドネシア語会話の本はたくさんありますが、そのころはとても少なくて、私が買ったのは旅行会話の本でした。一番最初に覚えたインドネシア語は「あぱか あんだ むんぐるてぃ あぱ やん さや かたかん?」です。今でも忘れられません。

彼らと仲良くなっていくうちに、彼らが豚肉を食べない、お祈りをする、物を渡すとき左手を使おうとしない、そして女性はいつも頭にスカーフをかぶっている、暑い夏にもかかわらず長そで長ズボン、ほんの小さなことが気になるようになりました。彼らの国の文化なのかな?日本人はこんなことしないんだけど、どうしてって聞いてもいいのかな?失礼なのかな?と子供心に疑問を持っていました。ある時思い切って聞いてみました。すると彼らはシンプルに「私たちはムスリムだから」と答えてくれました。
「ムスリムって何?」そこで初めてムスリム=イスラム教徒という意味の言葉だと知ったのです。イスラム教・・ああ歴史の授業にちょっと出たな、え?でもあれってアラブの宗教じゃないの?私にとって、イスラム教はどこか遠くの、それこそアラブ地域の人だけが信仰する宗教だとばかり思っていたくらいです。
その時からなぜか私の周りにはインドネシアやマレーシアのムスリムの友人ばかりが増えました。そしてその友人たちを通して自然にイスラムの教えを見る機会が増えていったのです。断食やみんなでするお祈り、みんなで集まってする食事、そして家族を、特に母親を大事にする、それから、困っている人がいれば見返りを求めずに助け合う、本当に自然に、当たり前にする友人たちに私は驚くばかりでした。自分にはできないな・・高校生の私はまさに「異文化」の中にとまどう「ただの日本人」でした。

その後、私は大学へ進みました。キリスト教系の大学だったので必修科目に聖書があり、授業の合間には、チャペルでの礼拝もありました。キリスト教ではないのでこの授業は正直苦痛以外の何者でもありませんでした。聖書の意味がわからないのです。ただの物語?ここからどんな教えを読み取ればいいのだろう、読むのも大変、でも単位は落とせない。私は大学での話をムスリムの友人たちに話しました。
すると彼らはこんな話をしてくれました。

「知ってる?聖書は歴史的に何度も何度も書き換えられているんだよ。でもイスラムのクルアーンは今まで一度も書き換えられたり、手直しされたことがないよ。アラビア語のままだよ。ずっと同じものを世界中のムスリムが読んでいるんだよ」

私はこの長い歴史の中で一度も書き換えられたことがない、と言う話に心を動かされました。半信半疑だった私はきちんとイスラムを調べてみる価値があるかもしれない、と思いそれからいくつか本を読んでみました。

彼らの話は嘘ではなかったのです。
クルアーンはいろいろな国の言葉で「解釈や説明」はされているけれどクルアーンそのものの書き換えは禁じられていること、そして世界中のムスリムがそのクルアーンを読み、変わらないよう守ってきたという事実、その反対にキリスト教の聖書は何度も何度も書き換えられてしまっていることを知り、そのときなぜかわからないけれど、突然「私が学ぶべきものは聖書ではなくイスラムだ!」という気持ちになったのです。

私はどうしたらイスラムを勉強できるだろう、本ではなくて、体感できるようなきっかけはないだろうか、と考えるようになりました。その私の気持ちを聞いたマレーシアの友人が「私のお母さんは子供たちにイスラムや、クルアーンの読み方を教えていますよ。マレーシアに来て見ませんか?」と言ってくれたのです。ああ、そうだ、イスラムの国に行けばいいんだ、と私はすぐに決断し、アルバイトをして、旅費をためて大学1年の春休み一人でマレーシアへ行きました。
その友人の家でホームステイをさせてもらうことになったのです。

私は何も知らずに行ったのですが何とその時断食中で3日後はイードルフィトゥリ、というタイミングでした。アルハムドゥリッラー、このときからすでにアッラーは私のために道を作っていてくださったのです。ホームステイさせていただいたところでは、毎晩子供たちがやってきて一生懸命クルアーンを読む練習をしていました。初めて見るその光景に感動しながら私も子供たちに混じってイクロを少し教えてもらいました。小さい子供のうちからイスラムを学ぶ習慣があることに驚きましたが、むしろこのくらい小さなときからやれば信仰心が身につくのは当たり前だな、と妙に納得したのを覚えています。

ちょうどラマダンだったので断食をする意味教えてもらうことができ、これは私もやってみたいと思い、次の日からイードまでみんなと一緒に断食に挑戦することにしました。ニーヤがなければ断食の意味がないと聞いたので私は心の中で「私にイスラムを教えてください、断食を通してイスラムの良さを教えてください」とニーヤ(niat)を立てました。

ホストマザーは「辛かったらやめていいのよ。無理しないでいいよ。イスラムを知りたいって言ってくれて嬉しいよ」そう言って私の体を心配していましたが、断食の意味を知ったら辛いとか、苦しいとは言えませんでした。食事を食べられない人の気持ちを自分の体で理解する。なんて分かりやすい教えなんだろう。そんなシンプルな教えをずっと守り続け、今でも変わらないクルアーン・・・イスラムってすごい!それから私は真剣にイスラムについて考えるようになったのです。

その後もムスリムの友人たちを通してわからないことがあると質問し、自分のペースでイスラムを学んでいきました。でもいざとなるとやはりシャハーダをする勇気がなくてそのまま4年近くの時間が過ぎました。ムスリマになるのなら基本的なことは知っておかなければいけないのでは?私がムスリムになったら両親や友人はどう思うだろう?日本でムスリムとして生きていくのはとても大変では?日本人の友人にもムスリムはいないし・・・とにかく心の中は迷いでいっぱいだったのです。

でもできるだけムスリムの人たちと同じような生活を心がけて断食をしてみたり、豚肉を食べないようにして自分の気持ちが本当にイスラムを受け入れられるのか自問自答を繰り返しました。その気持ちを理解してくれたムスリムの友人たちは決して「早くシャハーダしてムスリムになれば!」とか「いつムスリムになる?」なんて言いませんでした。ただじっと私のためにみんなが祈ってくれていたのです。「無理やりシャハーダしても意味がないし、本当に心からイスラムを受け入れられるようにアッラーが道を用意してくれるから」みんな同じことを言ってくれたのです。これが一番私の気持ちを落ち着かせてくれました。
あせらなくていい、イスラムが自分にとって真実ならば必ず道は開ける、そう思うと気持ちが楽でした。

1999年に私は今の夫に出会いました。夫は私がイスラムに興味があること、イスラムを受け入れるかどうか迷っていることを知っていましたが、彼は私が聞かない限り自分からイスラムではこうなんだよ、とかイスラムはこんなにすばらしいよ、と言う人ではありませんでした。私が今まで出会ってきた友人たちとは違うタイプで、最初はとまどいました。
ある時、彼に「ムスリムを見てイスラムを判断してはいけない」と言われたとき、はっとしました。私の中に、確かにイスラムに対して怖い印象もあったからです。
「ムスリムだけどイスラムの教えを守らない人だっている、そんな人を見てイスラムってこんなこともしていいんだ、そう思われるのが一番残念だから」と言われたとき、イスラムに関して多くを語らない彼の中にある彼の信仰心、アッラーへ対する深い思いを感じました。「何も言わなくてもイスラムは素晴らしいんだ」という彼の強い心は私の心を動かしました。そして同時に、私は多分ムスリマになって彼と一緒に生きていくことになるかもしれない、と直感で思いました。

2000年になって私はシャハーダをする決心ができました。ジャカルタの小さなマスジッドでした。シャハーダをした時キアイに「今日からあなたはムスリマです。生まれたばかりの赤ちゃんと同じです。今までの罪は消え、新しい、ムスリマとしての人生の始まりです。」
と言われた瞬間胸がいっぱいになって涙がこぼれました。今までの迷いや、最後の最後までムスリムになることを許してくれなかった両親の顔を思い出しながら、これから私はムスリマとして生きていくんだという気持ちでいっぱいでした。

その一ヵ月後にランプンでアカニカをし、私と彼は夫婦になりました。夫の実家は南スマトラにありましたが私が日本人で何かとまだ手続きが残っていたのでジャカルタに近いランプンでアカニカをすることになったのです。私はアカニカはどうしてもマスジッドでしたくて夫や夫の家族にその気持ちを伝えました。ムスリマになって、自分の人生の大きな変わり目の結婚を、アッラーの家だと言われるマスジッドでできれば、きっとアッラーがたくさんの祝福を与えてくれるのではないか、なぜだか分からないけどその時そう思ったのです。
そのマスジッドでは外国人とインドネシア人のアカニカは初めてのことだったので夫の家族や親戚以外の多くの人が集まってくださいました。たった一人でインドネシアに来てムスリマになった何も知らない日本人を家族のように受け入れてくれて、祝ってくれたインドネシアの方々の温かさに自分の家族とはまた違う愛の形を感じました。ムスリム同胞の愛、と言うものです。

私がムスリムになって丸7年たちました。インドネシアに約1年ほど暮らしたあと、日本に戻って最初のころはジルバブをかぶっていませんでした。私がジルバブをするようになったのは6年前の911のアメリカ同時多発テロがきっかけでした。メディアではイスラム教が一斉に非難されていましたが、私はムスリマとして何も恥ずかしがることはない、テロリストとムスリムを同一視されるのはおかしい、そう思ったらジルバブをせずに外へ出ることが急に恥ずかしくなったのです。ジルバブをしていれば、守られているようなそんな安心感をえました。

私の両親はアメリカでたくさんのムスリムが迫害を受けているのをニュースで知り、見た目でムスリムだと分かると嫌な思いをするかもしれない、とジルバブをして外出する私をとても心配していました。最初は目立つし、勇気のいることでしたが何かに守られているような安心感があり、今では服を着るのと同じような感覚になってきました。
両親にとっても私がジルバブをする姿はもう慣れたようです。

でも日本の家族にイスラムを自分の宗教として受け入れてもらえるにはまだ時間がかかると思います。ありがたいことに、最初ムスリマになることを反対していた両親ですが、今では理解を示してくれて私たちの食事などにも気を使ってくれています。「お互いを理解しあうこと、それは宗教や民族を超えてとても大事なこと」といつも母は言います。

私は、日本人の友人に会うときもムスリマの姿で行くようにしています。イスラムを知ってもらうきっかけはどこにあるかわからないものです。幸い私の日本人の友人は昔から私がイスラムを学んでいたことを知っていて、特に偏見を持たずに昔と変わらず付き合ってくれます。食事に行くときも私たち一家に合わせてくれます。こうやってお互いを思いやれることはとてもありがたいことです。自分の周りの家族や友人から、少しずつ理解してもらえればイスラムのイメージは変わっていく、私はそう思っています。

私は日本人に「イスラムってもっと怖いイメージだった」と何度も言われました。それくらい日本人にとっては未知の宗教なんですね。でも実はイスラムの教えは私たち日本人が昔持っていた「道徳観」と似ているのです。今は便利な世の中になりすぎて日本人は忘れてしまっている人が多いけれど、案外日本人に向いているのはイスラムじゃないかといつも思います。みなさんもそう思いませんか?

それから、今一番心配なことは息子たちへのイスラム教育です。私はボーンムスリムではないのでイスラムの知識には限界があるし、どうしても間違ったことを教えてしまうのではないか、と不安になりがちです。これは私自身も悩むところですが、本当に、本当によく相談を受けます。多くはインドネシア人と結婚した日本人女性からです。教えなければいけないのは分かっているけど何もわからないままだからという方がほとんどです。福岡では月に一度日本人とインドネシア人の夫婦で集まってイクロや、イスラムの知識を一緒に勉強する集まりを楽しくやっていますが、やはり日本語で、ゼロからはじめられる初心者でも優しく学べる機会があればそういう日本人の妻たちは助かると思います。福岡にマスジッドができたら、イスラムになったけれど、まだイスラムがよくわからないという日本人のためにみなさんの力を貸してくださると本当にありがたいと思います。

ずいぶん長くなってしまいましたが、この辺で私の話を終わりにしたいと思います。
この後何かご質問などがあれば質疑応答の時間があるそうですのでそこでお答えできれば、と思います。もし私の話の中でみなさんに不快な思いをさせてしまったら申し訳ありません。この時間をみなさんとともに過ごせたことをアッラーに感謝したいと思います。

みなさんにアッラーのご加護と祝福が豊かにありますように。アーミン。

ワッサラームアライクムワラフマトゥッラーヒワバラカートフ

Khairun Nisa’

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